学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

文化を伝える人

怒りを覚えるのは自分の利害に関係あるから。

苦しくなるのは自分の枠にはめようとしてその通りにならないから。

その人が納得しなければ行動は変わらない。

強制させることはできない。

でも、そうした方がいいよというスタンスは示し続ける。

待つしか無い。

でも、もっと何かできないかを考え続ける。

初めからわかってくれる人が一定数いればそれは楽だ(理論上はいる)。

わかっているけど動けないなら、そういう人のジェネレーターになる必要もあるのか?

でもそれが教師なのは違和感。

せめて先輩かな。

となると、やはりどこかの時点でそれがわかる集団を作り、その文化を伝えていってもらうことが理想なのか。