学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

非適応型完璧主義

だいぶブログを書いていなかった。

ちなみに、最近「測量野帳」で毎日1ページは何かしら書いてはいる。

ただ、これは完全に自分一人のもので、誰かに見せるものではない。

ブログは、書きたいと思わなかったから書いていなかった。

サボったとは言わない。

書きたいと思わなかった。

 

今日は、久々にブログに書きたいと思った。

自分はいろいろのことで悩んだり落ち込んだりするが、そんな自分に、少なくない人が「完璧主義なんだよ」と指摘してくれた。

今まで、自分にはこの指摘がしっくりこなかった。

別に責任感は強くないと思っているし、完璧になるまで徹夜もしてないし。

しかし、今日、この動画を見て腑に落ちた。

youtu.be

この動画では、有害な完璧主義を「非適応型完璧主義」と呼び、「『欠点がなく完璧がいいもの』と強く思い込んでしまっている」と定義している。

まさに自分だと思った。

「欠点がなく、完璧がいいもの」という価値観を内面化している。

完璧主義の価値観を内面化してしまった理由というかきっかけみたいなものには、思い当たらないことがないでもない。

とにかく、一つ靄が晴れた。

よかったよかった。

ディスカウントしない

私は同世代の人よりも遅れている感覚がある。

他の人ならすでに気づいているようなことを、今更ながらに気づいていると思う。

なんでこんな当たり前なことを、と思ってしまう。

しかし、ディズカウントしてはならないのだ。

今気づけたということは、それは確かな前進なのだ。

その時には気づけなくても、今だから気付けることがある。

今気づけたからこそ、より確信を持って腑に落ちることができる。

いつも順調とはいかないけれど、一歩前進ということで。

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

 

誰かと

今日は高校2年性が国際バカロレア口述試験の練習であった。

生徒の口述を聞きながらメモを取り、後で録音を聞きながら教員たちでルーブリックを元に議論する。

やはり、仕事を共にすることで仲間になっていくんだなと感じる。

なかなか大変な業務だとは思うけど、誰かと一緒にやるだけで、負担感は全然違う。

一人でできることも大切だけど、一人でできなきゃいけないだけだと辛い。

とりあえず誰かと一緒にやればいい。

再確認

今日は久々に西川先生とお会いしてご講演をお聞きした。

何度も聞いているお話。

ストーリーは頭の中に入っている。

まるで落語のよう。

が、しかし、やはり聞くことに意味があると感じる。

再確認なのだ。

本気で願っている人の語りを聞くということ。

そこに意味がある。

 

語っていることに嘘がないか。

本気でそれを願ったいるか。

それが誠実さなのだと思う。

挑戦

今年の成長は、ちょっとずつ挑戦できるようになってきたこと。

今までは、正解を求める、失敗したくない思考だった。

夏の研修で出会った「違和感よりも好奇心」という言葉がなぜかそのとき腑に落ちたのも、ちょっと怪しい無料セッションを受けたのも、複数の集団を担当させてもらってるのも要因かも知れない。

完璧に準備ができたら、といつも思うのだけど、その日は永遠にやってこない。

コンフォートゾーンから出なければ、傷つくこともないが進むこともない。

そうしていつまでも変わらないことを自己嫌悪するだけである。