学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

広めるには

自分が信じる考えを広めるにはどうしたらいいのだろうか。 こんな書き方するとまるで布教活動のようだ。 結局のところ、その人が心からいいと思わないといけないのだよなぁ。 そこまでの力量は、自分にはない。 自分で自分がやりやすい環境を作りたいのだが…

これからの「評価」について考える

今日はzoomでの「トークライブ これからの『評価』を考える」に参加した。 「良い評価とは何か?(教員にとって、生徒にとって)」という問いから始まり、「『評価』と『評定』の違いは?」「そもそも『評価』とは何のため?」「『評価』を『評定』にする意…

諦めない

最近、「自分が諦めたら終わり」ということが分かったような気がする。 以前まではことあるごとに一喜一憂していた。 喜ぶ時はいいのだけれど、憂いている時はとことん落ち込む。 そんな時は退廃的な気持ちになっていた。 「諦めない」とは、うまくいこうが…

投票

投票に行ってきた。 西川先生の記事を読んで改めて投票に行かなければと思った。 www.jun24kawa.com 生徒にもこの記事に書いてあることを少し話した。 「どうせ行っても変わらない」と思っている人は多いと思う。 でも、行かないと結局損をする。

心は

テンションが高い時は意識して抑えるモードに切り替えるようにしている。 上がった後は、必ず下がるから。 心は上がっても下がっても疲れる。 水平に水平に。

担任の役得?

クラスの子が授業で作ったお菓子をくれた。 今日のお菓子はマドレーヌ的なもの。 市販のガツンとくる甘さではなく、食べているうちにじんわりと広がっていくような甘さ。 大人な味わい。 美味しかった。 実は以前にも別の子からお菓子をいただいておりまして…

コールタール

悩めば悩むほど、悩みはドロドロに煮詰まったコールタールの如し。 その状態までいくと、話す方も聞く方も「おおぅ」となってしまう。 理想は同じ職場に共通の話ができる人がいることだなぁ。本当に。 無い物ねだりに過ぎないのだけど。 今日もある方とお話…

う〜ん

本気で求めることができなくなってしまったとき、いったい自分はなんのためにやっているのかという疑問に苛まれる。 諦めてはいけないのに、半分諦めている。 今は、とりあえず個人的に話をしつつ、自分の思いを伝えている。

誰かに「話す」こと

誰かに話を聞いてもらう。 相手に伝えるためには、自分の中で考えていることを整理して言葉を選ぶ必要がある。 同じ言葉にするにしても、一人でノートに書くだけのと、誰かに伝えようとするのでは、全然違う。 誰かに話すと、自分にはない視点、気づいていな…

中津コーヒー豆!

届きました! 中津コーヒー豆! 高校生が販売しているコーヒー豆です! シールも付いていてうれしい! 美味しく飲みます!!

大人

結局人の成長はどれだけ内省できるかであって、その為には他者と対話することが欠かせない。 今の自分の行動は正しいのか。自分は何をしたいのかを問い続けるしかない。 前に紹介した南直哉さんの本の中に、「私は『悟り』の意味を、自分が生きていることの…

無力

今日はまあとにかく精神的にめちゃくちゃ疲れた。 こちらを完全拒否している人に対しては、やっぱり全く無力なんだなぁ。 それでも伝えるべきことは伝えなければならない。 久々に傷ついたかな。いままで傷つくことから逃げてきた分余計に。 これも成長の糧…

自己採点

同僚の先生と定期テストを自己採点することについて話した。 フィードバックで一番有効なのは、コメントのみである。 それならテストもコメントだけで返して、採点は生徒がやったらどうかとふと考えた。 その方が、自分がなぜ間違えたのか、より考えるのでは…

悩むと言うこと

『語る禅僧』(南直哉 著 ちくま文庫2010年11月10日第1刷)の一節。 真に信じる人間とはー悩みのなくなった人間ではない。また、悩むことをやめた人間でもない。悩むことを恐れず、そこから逃げない人間なのだ。問題を正面から引き受ける力を得た人間のこと…

自己肯定感

同僚の先生と話していて、「自己肯定感」の話になった。 僕は、適切な自己認知(ある種「自己否定」と言ってもいいかもしれない)のない「自己肯定」はないと思う。 自分が何ができていて、何ができていないのか。 それを認知したうえで、「それでも自分はす…