学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

哲学対話

本日は自分が所属しているFacebookグループで月に一度開催されている哲学対話に参加してきました。(やたらと一文が長くなってしまった)

→本日は哲学対話に参加してきました。自分が所属しているFacebookグループで、月に一度開催されているものです。

 

自分がファシリテーションを務めましたが、全くと言っていいほどファシリテーションしませんでした。

というか、皆さんの対話力が高いので、僕が変にまとめたり流れを作る必要がなかったのかもしれない。

僕は自然な対話の中に乗っかっていった感じでした。

 

哲学対話のテーマを決めるときも「これ!」とガッチリ決める感じではなく、会話の中でヌルッと決まっていった感じ。

ちなみにテーマは「対話」。

 

「対話」ってなんだろう。「対話」のイメージを絵に描いたり言語化したりするとどんなかんじだろう。なんのために「対話」するのだろう。

お互いがお互いの「対話」観を出し合い、深めていく時間。

とても、心地のいいものでした。

以下今回の学びのメモです。

 

「対話」とは

  • 固定観念を問い直す(脱構築)するもの。
  • 新しい問い、価値、共通認識を生み出すもの。
  • 「〜って〜だよね。」「うん、そうそう。」では対話ではない。
  • 自分達が普段何気なく使っている言葉を見つめ直す。違いを確かめ合うもの。
  • 「〜って大事だよね。」「その『大事』ってどういう意味で『大事』なの?」「ええと、それはね…。」が対話。
  • 違いを確かめ合うのだから、大なり小なり違っていることを前提とするもの。
  • 健全に疑うこと。

 

「対話」によって得られるもの

  • 「対話」し、自分と他者の対外を認識することで自分の現在位置がわかりやすくなる。
  • 多くの違いと触れ合えば、それだけ精緻に自分の位置がわかる。
  • 自己相対化できる。
  • 自分が考えていたことと似ている考えもをっている人に出会えれば、少し自信につながる。
  • 「幸せ」ってなんだろう。なんのために「生きる」のだろう。といった問いに出会い、自分で考え、他者と対話し、その時点での自分なりの答えを出すことができれば、生きる指針につながる。

ちなみに、現時点での僕の「なんのために生きるのか」の答えは、「『ああ、いい人生だった。』と言って死ぬため」です。