学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

『気になる子の指導に悩むあなたへ 学び合う特別支援教育』西川純 東洋館出版社 2008年4月25日初版第1刷

 本書は特別支援教育と『学び合い』について書かれた本である。

 特別支援教育のキーワードに「6.3%」という数字がある。これは文部科学省が行った「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査(2003年)」によるものである。これは特別な支援を必要とする生徒がほとんどのクラスに複数人いることを示す。しかし、自閉症の出現率は1万人に4〜5人である。30人学級であれば70学級に1人、学年2クラスの小学校であれば、6校に1人の割合である。この割合は6.3%という数字と大きく乖離する。ここで重要なのは、6.3%という数字は医師が判定したものではなく、教師が判定したものであるということだ。つまり、6.3%という数字は診断の結果ではなく、教師が困難を感じている児童生徒の数字なのだ。

 筆者は特別な支援を必要とする子どもを「特別な存在」と考えるのは誤りであると言う。相対的に言えば、我々は常に特別な支援が必要とする部分を持っているのであり、それは程度の問題なのだ。子どもを「特別」と認識し、自分は健常であると考えるべきではないと。

 また、これは何かで聞いたこと(おそらくYoutubeにある筆者のゼミ生との会話)だが、その子が仮にADHDだったとしても、それはその子のごく一部分であって全てではない。

 この認識は非常に重要なものだと思う。最近はことあるごとに「ADHD」「アスペルガー」といった言葉を耳にする(そしてその言葉は教師が生徒を批評する時に使う)。この言葉を使うことはある意味楽である。生徒にラベルを貼ってしまえば、「あの子は〜だから」の一言で済ますことができるからだ。そして、その子のことを考える時に、常に色眼鏡を通してしか見れなくなってしまう。これは恐ろしく、悲しいことである。

 誰もが支援が必要とする部分を持っていると自覚すること。そしてそれはその子の一部分でしかないことを知る(知ろうとする)こと。この視点が教育には欠かせないと思った。

 この本は特別支援教育と銘打ってあるが、全ての学校種の先生に読んでほしい本である。

 

 僕は中学・高校と空気を読むことができなかった。今ではだいぶ改善された(と思いたい)が、ものごとを先延ばしにする癖は完治していない。僕は明らかに特別な支援が必要な人間であると自負している。でも今は困ったことがあったらすぐに助けを求めることができる同僚がいる。