学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

授業振り返り③

  本日は2年古典と、3年現代文。

 2年古典の本日の目標は「全員が、四段活用、上二段活用、下二段活用、上一段活用、下一段活用の動詞の見分け方を説明することができ、それぞれの活用表を覚えることができる。」。最初の説明は10分間かかってしまった。しかも、授業の終わりに4分間の小テストを行い、その後自己採点、さらには振り返りまで書いたので、課題達成のために生徒たちに与えられた時間は30分というかなりきちきちな時間でした。ほんとに削るところを削らないといけないと実感しております。配布物は事前に配っていたので、そこは良かった。教科係さんに感謝。とりあえずは最初の説明をいかにスムーズにするかだな。

 この時間は誰が誰と一緒に活動するかをじっくり見た。名簿を写真にとって、線で繋いでみると簡単に関係性が分かる。かたくなに一人でやっている生徒もいた。それはそれでよい。

 この集団はかなり積極的に動く。「これってどういうこと?」という言葉が、たくさん聞こえた。この生徒のやる気の火を消してしまわないように、参考にできる資料や、適切な課題設定など、環境整備を精一杯していきたい。

 

 3年現代文の本日の目標は「全員が本文の内容をスムーズに理解できるようになる。」。これはアドバイスしていただいたのを参考に(参考と言うにはあまりにそのまんまではあるが)設定した。他クラスでは「語句のプリントを完成させること。」だっったが、それは手段にしか過ぎないとの振り返りから、この目標にしてみた。

 伝えたかったことが伝わったのか、語句のプリントを無理に完成させようとはせず、とりあえず本文を読むことから始める子もいた。本文を読みながら、「これってどういうこと?」という声が聞こえたのは良かった。そしてそれをがんばって説明する姿が見られた。しかもその子は今までの現代文の授業では半ば眠っているような子だったのだ。分からないことを分からないと自然に言える環境は本当に大事なんだと実感した。

 自分の課題が終わってしまい、読書を始めた子がいた。この子は「自分は自分、人は人」というタイプの子である。この子にも、他者と関わることが得であるということを実感させられるか、当面の課題になるだろう。僕が見た感じでは、完全に関わることを拒否しているわけではない。ただ、すこし不器用なのかもしれない。なんだかんだかわいい生徒である。

 最後に本文が一通り読めていれば答えられるクイズをやってみたが、意外にも満点は少なかった。生徒に時間について聞いてみたら、余裕は1割で、ちょうどいいと足りないが半々だった。古典と同じでふりかえりも書いてもらったから、きつきつでした。

 

 今日の現代文で思ったことは、辞書を引くということの必然性はどこにあるかということだ。今回の目標はスムーズな内容理解だった。であるならば、語句が読める、意味がわかるというのは手段にしか過ぎないのではないか?であるならば、必ずしも辞書を引かせることは効率的ではないのではないか?こんなことを考えた。

 辞書を引くのであれば、その必然性がある課題の方がいいのではないか?例えば、複数の意味がある言葉を辞書で引かせ、本文の文脈ではどの意味になるかを考えさせる課題とか…。