学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

『学び合い』は楽か?

 「『学び合い』は楽か?」と聞かれてふと考えた。結論から言うと「楽でもあり、大変でもあるが、その種類が変わった」といったところか。

 初任者研修やその他の教科研修で、「授業をデザインすることの重要性」について何度も言われた。50分の授業をどうデザインするかが授業の是非を決める。だから、教師は生徒の実態に合わせて適切に授業をデザインしなければならない。

 授業をデザインする時、教師は「どのタイミングでどのような発問や指示をし、その返答に対してどのような返しをし、この発問では何分とり、グループ活動は何人で何分とり、考える時間は何分、班での話し合いは何分、全体での共有は何分、共有の方法は…」といったことを考える。これはかなり大変だった。経験を積めば自然とできるようになるのかもしれないが。

 『学び合い』では授業をデザインしない。『学び合い』では生徒が「何を学ぶか」は教師が決める(目標と課題の設定)が、「どう学ぶか」(誰と学ぶか、どこで学ぶか、何を使って学ぶか…)は生徒に任せる。だから、授業をデザインしないと言う点では『学び合い』の授業準備は以前に比べて楽になった。

 しかし、学び方は生徒に任せるからこそ、目標の設定や課題の質が命である。ここが拙いと、50分間辛い思いをしなければならない(生徒も教師も)。これは精神的にかなりきつい。だから、目標や課題の設定は授業ギリギリまでずっと悩む。目標や課題の設定が全てを決めてしまう点では大変である(しかしこれは以前の授業でも同じことだったので、あまり変わっていない)。

 以前は50分をどうやりくりしようか、何を言おうかに時間を割いていたのを、目標や課題を何にするかに時間を割けるようになった。そのおかげで、1回1回の授業に明確な目標を持って取り組めるようになった。

 ところで「完璧な」授業デザインなどあるのだろうか。あるとしたら誰にとっての「完璧な」授業デザインなのだろうか。