学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

「多忙」と「部活動」

 僕の勤務校では、定期的に職場アンケートが取られる。先日、今年度2回目のアンケートの結果が配られた。今回のアンケートは「多忙」や「人事」について。そこで多かった意見は「人事に公平感・公正感がない」「人事のバランスが取れていない」「業務の見直しが必要」という意見だった。

 人事が公平・公正である状態はどのような状態なのだろう。公平・公正でなくとも、公平感・公正感はどのようにしたら共有されるのだろう。人事のバランスはどのようにしたら取れるのだろう。そもそもバランスが取れた人事とはあるのだろうか。業務の見直しとは、誰が、どのような基準で行うのだろうか。

 教員の多忙化の原因の一つに、部活動は必ずあると思う。部活動の主顧問を引き受けるか引き受けないかで、仕事量のバランスは大きく変わってくると思う。先生方が、忙しくなるのを分かっていながら部活動の主顧問を引き受けるのは「生徒のため」だ。「生徒のために」と言われれば、普通の先生は断れない。断らなかった結果、多忙になる。

 現在、部活動指導員や社会体育という選択肢もある。しかし、全ての学校の全ての部活動に部活動指導員が配置されているわけではないし、全ての部活動が社会体育に移行しているわけではない。では、我々は校長が部活動指導員を設置したり、社会体育へ移行してくれるまで待つしかないのだろうか。それまでは我慢するしかないのだろうか。

 ある部活の主顧問を、職員全員が断ったとしたらどうなるのだろう。きっと管理職は困るだろう。そうなってはじめて、重い腰を上げるのではないだろうか。だれかが引き受けてくれる以上、問題は起こらない。問題が起こらなければ、現状は変化しない。だれかが主顧問を引き受けてくれるうちは、部活動指導員や社会体育への移行のことなど考えなくても済むのだ。多忙から解放される道は、まずは「断る」ことから始まるのではないだろうか。