「あることを学ぶ意味を陶冶価値という。」(p.5)
改めて、国語の陶冶価値とはなんだろうか。著者でもある片桐先生は本書で「国語は言葉を学ぶ教科だ」「『言葉』そのものを扱っているのは国語だけだ。『言葉(=日本語、以下同義)の機能』『言葉の役割』『言葉の種類』『言葉の歴史』・・・を他の教科では扱わない」(p.116)と述べている。なるほどと思った。人間は言葉によって思考する。であるならば、言葉そのものを学ぶ国語は思考の基礎を作っていると言える。
言葉そのものを学ぶことが国語の陶冶価値であるならば、生徒が見せてくれるチャーミングな対話はどのようなものだろうか。これからの実践を通して確かめていきたい。なんとなく想像するのは、当たり前に使っている言葉を再考しているとき?伝えるべき言葉を探しているとき?うーむ。