学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

選択と目的

自分で選択するとができる環境にいると、目的の大切さを強く感じる。

今は時間がたくさんあるので、その分本を読めるのだが、読書していると頭の隅で「お前はその本を読んでいて良いのか?他の選択肢を選んだ方が良いのではないか?」と言う声が聞こえてきて、働いている時よりもむしろ読めない現象があったりする。

その本を読む目的の強度がないと、選択したことを続けるのは難しい。

マトリックスのフランス人が思い出される。

 

自分で選択できる時間を過ごしてこないと、自由には耐えられないのではないか。

学校に通っている子のどれほどが、自分の選択(そもそも選択していないかもしれない)の目的を言えるだろうか。