学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

国分寺にて

単純に工藤勇一先生にお会いしたかったのと、つながりを増やすことを目的に国分寺へ。

今の学校教育に必要なことは何か、民主主義とは何か、どうやって育むか、工藤先生のお話を聞きながら考え、参加者と対話する。

事前にあまり疑問や違和感を持てなかったのは少しもったいなかったかもしれないが、それもまあ仕方がない。

自分の感覚に合うものだけでなく、むしろ疑問や違和感を持つところへ行くことが大事なのかもしれない。

 

お話を聞きながら、西川先生がちらつく。

「あ、同じこと言ってる!」と思うことが多かった。

これからの日本のこと、身につけなければならない力、感情ではなく利害(=損得?)、集団の管理者としての在り方などなど。

 

工藤先生は「当事者意識」という言葉を何度も語られていた。

当事者意識をどうやって持つのか、また育むのか。

一つは最上位目標を考えることだと思う。

自分自身のはもちろん、所属する組織のも。

結局何を成したいのかが見えていなければ当事者意識は持ちようがない。

もう一つは、任せること・選択させることだと思っている。

上から言われたことだけに従っていればいいという体制に慣れ切ってしまえば、当事者意識など生まれない。

自分で選択し、決定するからこそ、そこに責任感も生ずる。

任せ、選択させるならば、信じなければならない。もちろん個人ではなく集団を。

難しいと思うのは、集団の管理者と構成員のどちらかが持っていてもダメで、どちらもじゃないと機能しないのではないかということ。

やっぱりリーダーの資質はメンバーの心に火をつける(当事者意識を持たせる)ことなのだ。

 

「当事者意識を生まない指導は逆恨みを招く」というのも印象的だった。

これは現場にいた時から常々感じていたこと。

教師は裁判官になってはいけない。

問題が起こった時に解決するのは教師ではなく、当人たち。

教師のあるべき姿としては裁判官ではなく対話をつなげる通訳者。

 

工藤先生のすごいところは、敵を作らずに事を運ぶところ。

戦略家である。

僕はそういうところはおそらく苦手なので、得意な人と繋がることとする。

そのための仲間づくりが必須である。

今日の話を聞きながら、現場に戻った時に、どう仲間を増やそうかもはっきりした。

とても地味でなにも目新しくないが、やってみようと思う。

というか既にやっている方がいるので、話を聞いてみよう。

 

今日は本当にいろんな人が参加されていて、教員だけでなく保護者、学童の職員、演劇教育の人、中には市議会委員さん。

とても面白かった3時間と懇親会でした。