学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

川崎子ども夢パーク・フリースペースえん 訪問

今日は西野博之さんに会いに「川崎子ども夢パーク・フリースペースえん」を訪問。

雨だったので、パーク内は子どもが少なかった。

初めに西野さんから夢パークやえんの様子を動画を見せもらいながら説明していただく。

説明を受けながら、気になったことを質問したり、話し合ったり。

 

以下心に残ったことを箇条書きに。

・ここでの時間は徹底的に自分と向き合う時間。大人が人生を押し着せない。

・高校に進学する子が多い。自分の中でケリがついたら。毎日毎日ゲームをして遊びまくっていたとしても、どこかで「自分はこのままでいいんだろうか」と考え始める。何も強制されないからこそ、自分と向き合っているからこそ、そう思う。

・「えん」で行われている講座は「学ぶって面白い」と思えるようなきっかけづくり。参加するもしないも自由。

・教師(大人)は「子どもを使って自分の理想を実現したい」という思いを持っていないか。

・何もしないことの保障(=選択の保障)。

・出会いのきっかけとしての場は大事だが、これは物理的な空間よりも、まなざしを持った大人がいるかどうかが重要。

 

説明の後は「フリースペースえん」にお邪魔させていただいた。しかも、お昼までご馳走になった。

「えん」に入って挨拶もそこそこに、スタッフさんのはからいで昼食の準備を手伝わせていただくことに。

ありがたい周辺参加。

昼食はチャーシューご飯と豚汁。おいしくておかわりもさせていただいた。

「えん」ではギターを弾く子、ひたすらマイクラをやったりYouTubeを見たりする子、ボードゲームで遊ぶ子、本を読む子などおのおのが好きなことをして過ごしていた。

今日はたまたま「開発教育協会DEAR」という団体の方がいらっしゃって、劇を通しながら「正しさ」についてワークショップを行っていた。

桃太郎を題材に「正しさ」とは何か、子どもも大人も一緒に考えた。

 

同じ空間にいて、みんなが一緒のことをするでもなく、それぞれがそれぞれのことをやっているんだけど、ともに過ごしている。

共同生活の場という感じか。

子どもが自身を肯定するためには、やはり多様な生き方をしている大人と出会うことが大事なんじゃないかと思う。

だから学校の中の大人とだけ関わるのではなく、地域に出て行っていろいろな大人と関わることが大事。

掛川に帰ったら、まずは自分が地域に繰り出してみよう。

 

さまざまな学ぶ居場所が増えてきている今、学校に行かないことは「不登校」なのではなく、学校を選択していないだけ。

学校ができることは子どもを学校に戻そう戻そうとするのではなく、選択される場にすること。

選択される場にするとなった時、学校はどう言う在り方であるべきなのか。

現行の学校にフィットしている子はいるから、フィットしていない子は別の選択肢を選べばいい、ということではないと思う。

学校に来てはいるけど苦しんでいる子はいる。

選択の保障があるということが、まずは必要な在り方なのではないか。

 

お忙しい中、急な申し込みを受け入れていただきありがとうございました。