学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

考え方

ようやく『学び合い』の考え方が腑に落ちてきた様に思う。

教師はそのことの意義や意味を示すことはできるが、強制したり禁止したりすることはできない。

教師はそのことを強制したり禁止することはできないが、意義や意味を示すことはできる。

例えば『』の型においては教師が子どもに教授することは控えよ(強く言えば「するべからず」)とある。

しかし、結局は子どもが選択すること。

教師は子どもが聞いてくることを禁止することはできない。

教師がこうなって欲しい、こうなった方が君たちにとって得だ、と願うことはできても、それを強制することはできない。

教師の願いに適った行動を子どもが取るかどうかは、子どもが選択すること。

教師に聞いてきたのなら、それはその子がその選択をしたのだ(あるいはその集団がその選択をさせたのか)と受け止めるしかない。

その上で、教師ができることは願いを伝えること。

 

という理解であります。