学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

折り合いとは相対化

他者と折り合いをつけることよりも、自分自身と折り合いをつけることのほうが難しいのかもしれない。

少なくとも僕にとっては。

この言い方は正確ではないかもしれない。

他社と折り合いをつけることそのものが自分と折り合いをつけることかもしれない。

それは一旦置いておいて。

 

自分の信念や価値観と反した他者がいたときに、それでもその人を認められるかどうか。

そのためには、自分自身の信念や価値観を相対化しなければいけない。

自分と折り合いをつけること(そして他者と折り合いをつけること)は、すなわち自分を相対化すること。

自分の信念や価値観を絶対化(とまではいかなくとも「〜べき」と考える)してしまうと、なかなか折り合いをつけることは難しい。

 

苦しさで言ったら自分自身と折り合いをつけられないことのほうが苦しいのかもしれない。

どのレベルまで相対化できるかな〜。