学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

「底辺校」という言葉

「うちは底辺校だから…。」という言葉を聞く。

底辺。

何が底辺なのだろうか?

おそらく、その人が(そして多くの教師が)使っている「底辺」という言葉の意味は、「学力(テストの点数)」についての意味だろう。

 

「学力(テストの点数)が相対的に低い生徒が多い学校」=「底辺校」ということか。

どんな文脈で使うにせよ、僕にはこの言葉を当たり前のように使える人が理解できない。

なぜ「底辺」などという言葉を無批判に使えるのだろう。

 

その人には、学力(テストの点数)を基準に考える価値観が染み付いているのだろう。

 

生徒が、自分の通っている学校が「底辺校」だと聞いたらどうか(そして実際に生徒は聞いている)。

「ああ、私は底辺なのか。」と思い、やがてそれは「どうせ底辺だから。」に変わる。

 

この言葉は教員の意識も蝕むだろう。

初めは「学力」を指していた言葉が、やがては「人格」その他あらゆることに結びつくだろう。

そして「学力」というフィルターを通してでしか生徒を見れなくなるだろう。

 

学力と人間性は関係ないのに。