学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

言葉にできることで

本を読んで、人と話して、多様な考えに触れることによって、自分のなかに軸ができ始める。

 

初任の頃は自分の中に軸なんかなかった。

だから、いろんな人がいろんなことを言っているのを聞いて、いちいち振り回されていた。

自分の中に、なんとなく考えや価値観や違和感はあるのに、それをうまく言葉にできないばかりに、他の人が言っていることの方がもっとものような気がして、自信を持てなかった。

軸があっちにいったりこっちにいったり。グラグラ。

 

自分に自信が持てず、人の言っていることに振り回されるのは疲れる。

その結果、不必要にイライラするし、人を嫌いになる。

 

初任の時に抱えていた違和感や言葉にできないモヤモヤは、今なら言葉にできる。

言葉にできればイライラしなくなるし、人を嫌いになることも少なくなる。

 

僕が人を嫌いになる時、一定の限度を超えた瞬間にシャッターが降りる感覚を覚える。

でもこれって、その人に対するモヤモヤが溜まりに溜まった結果起きてしまうことなのだと思う。

だから、自分の価値観を言語化できて、その人の価値観を言語化できるならば(つまり、お互いの価値観の違いを言語化して認識できるのならば)嫌いになることなんてきっとない。

すっと、距離を置くだけにとどまるだろう。