学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

先日の授業で嬉しかったこと

 先日のある集団の授業において。

  • 今までなかなか助けを求めなかった人が、助けを求められるようになった。普通に「分からない」「助けて」が言えるようになった。
  • 「分からない」「助けて」に対して、否定的な態度をする人がいない。むしろ、「大丈夫だよ。私も分からなかったから。」と共感的な態度で接する人がいる。
  • 予習してくる人が生まれた。
  • 予習した人は当然早く終わるが、終わった後も周りの様子を見て行動していた。助けを求められたらすぐに応じ、助けを求められていない状態でもまだ終わっていない人の様子を見て、時折アドバイスをしていた。

 このような集団に所属することができれば、誰もが安心できるのではないかと思う。勉強ができようができまいが、それは人としての価値の全てではない。ある集団の中で相対的に勉強が得意だからといって、他者を見下すような人、驕り高ぶる人は長期的に良好な関係を築けるだろうか。

 誰しも得意不得意はある。だからこそ他者と協働する必要がある。クラスの誰もが、クラスの誰に対しても助けを求められるのならば、自分の持つ力以上のことを成し遂げられる可能性は高くなる。

 助けを求めることができるためには、まず何より、助けを求めたとしても馬鹿にされない・無視されないという安心感を持つことが必須である。この安心感は、その場にいる一人ひとりが作り上げるしかない。誰かを馬鹿にする・無視する行動は、ゆくゆくは自分の首を締めることにつながるのだ。