学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

『冒険の書』を読んで

人間って本来学ぶ欲求は備わっているはずで、こちらがいちいち基礎だのベースだの与えなくても、学びたいと思えば学ぶんじゃないかなぁ。
大事なのは学びたいと思った時に学べる環境と、多様な学びに触れられる機会があることなのでは?
本当、一律のカリキュラムだのクラスだの時間割だの、何であるんだろう。

これからAIが発達して個別最適な学びが簡単に実現できるようになったら、一律に同じことを教えられることって本当に意味ないんじゃないか?

果たして僕は現場に戻れるのだろうか!?