学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

ゼミ振り返り

「ある本を読んでいて、『行為には有限性が必要』『完全な自由はありえない』とあったが、枠のようなものは必要か?」

子、曰く「我々は枠がなければ何事も認識できない」

「良い枠、悪い枠はあるのか?」

子、曰く「属する集団による。枠をどう捉えるか」

枠(一律のカリキュラムやクラスや学年)があったとしても、それを当然のこととして良しとするか、その中で工夫するか。枠の中での自由を探りたい。

 

フリースクールの子どもたちの会話を聞いて、どのような学びをしているか探ってみたい」

子、曰く「人それぞれじゃない?水分子を見ようとするんじゃなくて、水を見たら?」

ここら辺、まだうまく自分の中で考えられていなかった。うーん。

 

「探究的な学び(自分で課題を決める学び、自分の興味関心から発進する学び)に興味がある。」

子、曰く「それが性に合わない子もいる。自分の幸せとは何かを考えることが必要」

ここはまだモヤモヤしている。人間は誰しも学ぶ欲求を持っているのではないのだろうか?誰しも好き嫌いはあって、好きなことを突き詰めたいという欲求はないのだろうか?