学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

属性ではなく、現象

昨日、高橋尚幸先生の講座に参加させていただいた。

その時に学んだことと、考えたことを振り返る。

 

集団にはいわゆるイノベーターとラガートが存在する(イノベーターとラガートの間に、アーリーアダプター、アーリーマジョリティ、レイトマジョリティという階層があるが、ここでは割愛する)。

学校におけるイノベーターは、教師の言っていることを素直に受けいれてくれる人。ラガートは最後まで受け入れようとしない人(これは職員室でも同じで、校長の言うことを素直に受け止める職員がイノベーター。最後まで受け入れようとしない人がラガート)。

こう書くと、イノベーターとラガートというのは、その人に内在している属性のように読めてしまう。

しかし、高橋先生は、イノベーターとラガートは状況によって、教員の出す方針によって変わり得る、とおっしゃっていた。

そもそもすべてのことに対してイノベーター、ラガートの人などいない。

例えば、教育に関してはイノベーター(いち早くICTを導入したり、協働的な学習や探究的な学習を実践したり)の人であっても、投資に関してはラガートだったりする。

状況によって、文脈によって変わり得る。

僕はこのことを、イノベーターの子が教員の方針にすぐについて行くのではなく、教員の出す方針にすぐについて行く子が、結果としてイノベーターになるのではないか、と解釈した。

つまり、イノベーターやラガートは属性ではなく、現象である。

些末な違いのようだけど、ここを見誤ると、特定の子(教員がその属性だと思い込んだ子)に負担が行ってしまうのではないかと思う。

現象は現れるまで分からない。

だから、全体に投げかけるのではないか。