人の悩みのほとんどは人間関係だ。
誰しも人間関係で悩み、苦しみ、時には失敗する。
でも、失敗するからこそ、そこで学び、成長することができる。
しかし、失敗を学びに変え、成長に繋げるためには、失敗しても再挑戦できなければならない。
だからこそ、失敗できる環境が無ければならない。
クラスにおいて、人間関係で失敗することは時に致命的になる。
人間関係をうまく築けなかったり、人を傷つけてしまったり、すれ違ってしまったり。
原因は様々だ。
不登校の子がいたとする。
『学び合い』の考え方では、その子がクラスに戻ることは、その子にとってだけでなく、クラス全員にとって「得」であることを生徒に納得させなければならない。
たとえその子が、不登校の原因(例えば、誰かの悪口を言ってしまって、友達から嫌われてしまった等)の多くを占めていたとしても。
最近、このことについてずっと考えていた。
なぜ、その子がクラスに戻れることが、クラスメート全員にとって「得」なのか。
人間関係は難しい。自分がいつ失敗するか分からない。ほんの些細なすれ違いで、失敗することもある。「私は人間関係を失敗しません!」と言える人は、どれぐらいいるだろうか。
人間関係で失敗し、不登校になってしまった子が、もしも教室に戻ることが出たならば、そのクラスは「人間関係で失敗したとしても、再挑戦が許される場」になるだろう。
もしも、その子が戻ることを拒んだならば(拒まないにしても、「まぁ、しょうがないよね」で終わらしたならば)、そのクラスは「人間関係の失敗が、許されない場」になるだろう。
どちらのクラスの方が、安心できるか。