学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

ぐはぁ

 本日3-Bで「山椒魚」の単元が終わったので、授業アンケートを取った。授業満足度は平均3.2(5段階中)という結果。5人が「2」、11人が「3」、8人が「4」、1人が「5」であった。「この授業はあなたにとって得だったか。」という質問に「はい」と答えたのは8人だった。

 「自分の答えが合っているか間違っているかわからない。」という意見が多かった。僕としてはヒントを書いた紙を用意して、それを読み進めていけばほぼ答えにたどり着くように(ヒントの紙の最後の方にはほぼ答えが書いてあった)していたつもりだったが、甘かったようだ。他のクラスではうまくいっていた(ように見えているだけかもしれない)ので、このクラスでも同じようにできると思い込んでしまった。自分の慢心が生徒を不安にさせてしまった。

 否定派もいるが、中立派が多い。「先生の説明も欲しい。」「はっきりとした答えが欲しい。」「一斉授業と半々でやって欲しい。」という意見が多くある。これらの意見とどのように折り合いをつけ、かつ、芯はぶらさずにいくか悩んでいる。ただ、大事なのは、生徒の意見の表層をなぞるのではなく、なぜそのような意見を書いてくるのかを考えることだと思う。今回は、一重に「安心」できる環境整備が不十分だったということが大きな原因だと思う。僕が焦り過ぎてしまっていたところもあった。他のクラスではうまくいっている(ように見えているだけかもしれないが)からといって、彼らとちゃんと向き合えていなかったのかもしれない。ぐるぐーる。

 なんといっても、主役は生徒なのだ。『学び合い』を実践するための道具にしてはいけない。

 ただ、アンケートを読んでいくと、生徒は自分たちなりに『学び合い』と向き合ってくれている。自分自身を反省している子もいた。有効性を感じてくれている子もいた。僕の伝えたいことが伝わっている子もいた。感謝である。

 自分を正当化するわけではないが、こう問いかけてみる。「ではあなたが一斉授業で『山椒魚』を授業したとして、果たしてうまくいっただろうか」と。探り続けるしかないのだろう。

 僕と同じような経験をされた『学び合い』実践者の先生方はたくさんいるのだろう。『私は『学び合い』にこれで失敗し、これで乗り越えました。』という本も読んだ。やはり、本は然るべき時に読むに限る。知り合いの先生に今度相談してみよう。