学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

そのシステムは、何のため?

生徒の学力を上げたい。

就職にしろ、進学にしろ、学力を上げることは生徒にとって役に立つ。

そこで、ある学習教材を導入した。

ところが生徒の中には、その学習教材の映像授業を適当に見る者がいる。例えば、30分の動画を開始すぐにスキップして見たことにする者がいる。

また、確認テストを適当にやる者がいる。

 

これでは、学力は上がらない。

生徒が、映像授業をきちんと見るためにはどうすればいいだろう。

確認テストをきちんと取り組むためにはどうすればいいだろう。

 

映像授業で学んだことをノートに書かせて教員がチェックしてみては?

ちゃんとやらなかった者は居残りさせてみては?

頑張った者には何かしらの報酬を与えてみては?

 

何のためシステム?

 

システムは大事だ。

だが、システムが機能するためには、内発的動機が欠かせないと思う。

 

だから、まず、なぜ生徒は映像授業を適当に見るのか、逆に言えば、どうしたら生徒は映像授業を自ら見るようになるのかを考えなければならない。

 

これを考えることなくして、システムだけを作っても、きっと形骸化するだろう。

 

 

大学受験をする子は、何も言わなくとも勝手に勉強する。

それは、勉強することがその子にとって得だからだ。

 

だから、映像授業を見ることが、自分にとって得だということを実感させればいい。

映像授業を見ることが、得だという文化を作ればいい。

そのためには、何のためにやるのか、なぜ、これをやることが得なのかを折りに触れて語らなければならない。