学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

あり方

 『学び合い』をやっていると自分のあり方を考えざるを得なくなる。『学び合い』を知る前まではあり方などどうでもいいと思っていた。とにかく明日使えるテクニックを求めていたし、テクニックさえあればそれでいいと思っていた。しかし、あり方こそが重要なのだ。

 なぜ、自分は『学び合い』をするのか(『学び合い』を「やる」「する」という表現それ自体が「方法論」でしか捉えられていないことの表れなのか…)。それ以前になぜ、自分は教師なのか。教師として何をしたいのか、何を伝えたいのか、何を願うのか。

 僕は半分なりゆきで教師になってしまった。だから、あり方に脆い部分がある。改めて、自分に問い直さなければならない。

 『学び合い』の根本は「一人も見捨てない社会を作る」ことだ。それを本当に願わなければ、何をやっても表面を撫でることにしかならないのだろう。