学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

『『学び合い』はしない1段上の『学び合い』活用法』

『『学び合い』はしない1段上の『学び合い』活用法』を読みました。

 

〈印象に残った記述〉

中・長期の視野に立ち、その場しのぎの『学び合い』の方法や型にこだわらないことが大切(P.69)

 

「何さえあれば、みんなで学び続けられるのだろう?」(P.73)

 

自分の中で「これがあれば『学び合い』だ」というものがあれば、芯はブレない(P.93)

 

〈簡単な要約〉

スポーツや武道と同じく『学び合い』にも型があり、まずは守破離を守ることが大切。しかし、守の状態では必ず壁がくる。守から破へ、そして離に行くためには結局のところ「自分は何をしたいのか」「自分にとって『学び合い』とは何か」「自分は何のために『学び合い』をやるのか」といった、自分の芯、核となるものを考えなければならない。これらをとことん考えて、借り物の言葉ではなく、自分の言葉で語ることが大切である。それができれば、型にとらわれなくなる。

 

今日は一気に読んでしまったので、またじっくり読みたいと思います。

以前、親しい先生から「君は何をしたいの?」と聞かれて、答えに詰まってしまったことがありました。その時に捻り出した答えは「学校を楽しくしたい」でした。まだまだ抽象的な、フワッとした答えです。もっと突き詰めて考えていかなければと感じました。