学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

「自己肯定感」はどこから生まれるか

 教育現場では、よく「自己肯定感」という言葉が飛び交う。「何よりもまず、生徒の自己肯定感を高めてあげることが大事なのだ。」と。

 我々教師は生徒が自己肯定感を高められるようにいろいろなことをする。成功体験を積ませたり、日々声かけをしたり、良いところを見取ったり…。しかし、これは非常に脆いと思う。教師に自己肯定感を高めてもらっていた生徒は、教師がいなくなった後どうやって自己肯定感を保てば良いのだろう。教師→生徒では、意味がない。大切なのは、生徒同士が関わり合う中で、お互いの自己肯定感を高められることではないだろうか。

 自己肯定感が高まるのはどのような時だろう。それは誰かから必要とされた時ではないだろうか。どんなに成功した人間でも、誰からも必要とされなければ、自らの存在する意味を見失ってしまうだろう。学年で1番の成績だったとして、クラスメートから必要とされなかったらきっと自己肯定感は低いだろう。

 困ったときにクラスメートに助けてもらえるということは、「あなたは不必要ではない」を含んでいる。「ねえ、一緒にやろう」「ここ教えて」とクラスメートに言われることは、「あなたが必要だ」を含んでいる。

 困ったときは「助けて」と言え、誰かが困っていたら手を差し伸べられる集団の中でこそ、「自己肯定感」は育まれるのではないだろうか。