学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

『子どもが夢中になる 課題づくり入門』西川 純 明治図書 2015年初版第1刷

 『学び合い』を学び始めて最初にぶち当たる壁が「課題づくり」だと思う。僕自身この壁にぶち当たっている。本当の意味で壁を乗り越えることは永遠にないのかも知れない。本書では、この「課題づくり」をどのように考えればいいかが具体的に書かれている。再読しながらノートにまとめていくと1回目には気がつかなかったことを発見できる。

 

 以下自分の読書メモ

 『学び合い』では後出しジャンケン(※1)ができない。つまり、その時間で達成すべき課題を一度提示したならば、後から補足したり、付け加えたりしてはならない。だから『学び合い』では課題を徹底的に吟味する必要がある。

 では、子どもにとって「わかりやすい課題」「興味を引く課題」とは何だろうか。それは、余分なところを削ったシンプルな課題である。

 多くの先生方が勘違いしていることは、「より多くの知識・技能を獲得すればするほど、教え方が上手くなる」ということだ。私たちはあることについて熟達すればするほど、それがわからない人の気持ちが分からなくなる。これは「エキスパート・ノービス研究」によって明らかにされているそうだ。つまり、我々教師は学べば学ぶほど「できる子」への教え方は上手くなるが、「できない子」への教え方は下手になる。そして、子どもは多様だ。「わかりやすい課題」「興味を引く課題」の主語は当然「子ども」だが、その「子ども」は一人一人違う。30人いたら30通りの理解の仕方がある。教師が凝った課題にすればするほど、教師と似たようなタイプの子どもにはフィットし、教師とは違ったタイプの子どもにはフィットしなくなる。だから、限りなくシンプルにして多くの子どもにフィットするようにしなければならない。そしてその芯となるものは学習指導要領である。

〈課題の作り方〉

 1.その時間に達成したいこと(目標)を教師が明らかにする。教師自身が何を達成させたいのかがあいまいなままにそれを子どもに求めることはできない。

 2.目標を達成するために、具体的に何をするのかを細分化して、どうなれば達成したと言えるのか達成基準を考える。子どもになるべき姿を提示できなければ子どもはどうしていいか分からなくなる。

 課題を作る上で大切なのが、学ぶ必然性を持たせることである。例えば、誰のために書くのかが分からない作文を真剣に書こうとは思わない。しかし、誰のために書くのかがはっきりすれば、それを書く必然性は生まれる。子ども同士が関わる仕組みを作ることで学ぶ必然性を生み出す。

 以上は本書で書かれていることのほんの一部に過ぎない。他にも教科学習を通したクラスづくりや職員集団のことについても書かれているので、気になった方は是非。

 

 本書を読んでグサッときたのは次の一文である。

 「教育には目標があり、それを達成するために授業があり、それを達成したか否かを確認するために評価があります。」

いかに今までの自分の授業がお遊びだったか思い出される。

 

(※1)教師が授業を進めていきながらその都度いろいろな指示を与えること。『学び合い』では授業の1番最初にその時間で達成すべきことを生徒に示す。

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※プーさんは完全に筆者の趣味であり、本書とはなんら関係がない。