今日は西川研OBの久保先生に問答について色々と聞かせていただきました。
現在小学生に問答をしていて感じること、自分が西川研だった時に感じたことなど、貴重なお話をいただきました。
やはり、教師の人となりを素早く集団に伝えるのが問答の効用でしょうか。
お話をしながら思ったことは、問答を通すことで、集団内での教師像のブレが少なくなるのではないかということです。
それによってリードする2割は動きやすくなりますし、リードする2割の動きを見た8割が2割の動きを信頼しやすくなるのではないでしょうか。
集団がそうなれば、教師が集団に対して言ったことが浸透しやすくなります(リードする2割がそれを是と認めれば)。
これは、個々人と問答を通すのではなく、集団の中でそれぞれが問答を通すことも大きく影響しているように思います。
いわゆる『学び合い』のパッケージにおいては、教師は授業のはじめに「語り」ます。
しかし、その語りはあくまでも教師から生徒への一方向です。
それに対して問答だと生徒出発からのリアクションですので、双方向性が生まれるのではないでしょうか(問答をすること自体は半ば強制だとしても)。
問答が半ば強制という意味では一斉指導に近いのかもしれません(ただ、問答に参加しなかったからといって、なにか怒られることも罰せられることもありませんが)。
でも、生徒と教師の関係(最近学んだ用語を使えば、「教師−生徒ソーシャル・キャピタル」)を醸成する上では必須なのかもしれませんね。
問答は、『学び合い』における「語り」の上位互換なのか。