学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

悩むのがディフォルト

個人研究、悩みっぱなし。

生徒が教員に質問をする時間(問答の時間)を授業中に取り入れたらどんな表れがあるのかを探ろうと思っている。

 

西川ゼミにおける学年ゼミでは学生が西川先生に質問をする。

これを学校の授業にインストールしたらどうなるかという発想。

以前、実際に現場で実践している方にインタビューをしてみた。

そこで出たものとしては、

  • 教員の生き方、価値観を伝えることが目的。
  • 伝えたいことを伝える速度が上がる。
  • 教員の人となりがさらけ出される。
  • 教員と生徒の縦糸を紡ぐイメージ。自己開示。
  • 質問を通して「この人には何を話しても大丈夫だ」という感覚を得る。
  • 親以外の大人の生き方を示せる。

などがあった。

問答をすることによって、どんな意味があるんだろう。

仮説は色々と考えているけど、思いつきの域を出ない。

  • 教員の人となりがさらけ出されることによる効果→生徒集団の教員に対するイメージの一致によって生徒集団の動きが変化する?→リーダーシップ論?集団形成論?
  • 生徒が定期的に質問を考えることによる効果→好奇心が向上する?教員の生き方をさらすことにより自分の将来について考えるようになる?疑問を持つ癖がつく?
  • 教員の価値観が伝わりやすくなる効果→『学び合い』の授業中の行動が変化する生徒が現れる?

 

とまぁ雑然としているわけであります。