学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

ゼミ振り返り

「職員間の不倫は集団の問題か」

→「広義では集団。狭義では本人。相手と別れるつもりがないのに不倫をするのはリスクマネジメントができていない」

つまりは、それを解決することが自分たちにとって得だと思えば、集団は解決しようとするのでしょう。

 

「教師が一律のカリキュラムを教えることに価値を感じていないことと、『全員達成』を求めることは矛盾しないか」

→「しない。知的障碍のある子がいたクラスで算数の授業を行った。その子は課題を達成できない。あるとき、クラスの子が『この課題はあの子には難しいから、違う課題にして良いか』と教師に聞いた。教師は全員に『それでみんな異存はない?』と聞くと、全員がうなずいた。」

つまりは、「全員達成」の内実をどのように捉えているか。課題を解けるレベルなのか、それとも「全員達成」を目指すことを通して学んでほしいと考えるレベルかの違い。

 

「健全な集団の基準は何か」

→「問題が起きないこと。パフォーマンスが高いこと」

「では問題が起きたら対応は常に事後的か」

→「違う。方向性を示し、その時々で手を抜かずに語り続けることで事前に対応をしている。問題が起きるということは、事前の対応が甘かっということ。その意味で問題が起きたら事後的にはなる」

 

「こういう研究をしようかと考えているのですが…」

→「どうぞ」