文種に限らず、ある文章そのものを読み深める教育については、たぶん興味を失ってしまっているのかもしれない。
万人が興味を持つ文章などありはしない。
その人が読む動機は、それが必要だからだ。
だから、多分、探究的な学びに興味が湧いてきているのかもしれない。
文章を読むこと、読書することについては、興味を持って欲しいと思う(あるいは書くこと、話すこと・聞くことについても)。
ただ、その時にどんな文章を読むかは別になんだっていい。
その人が興味があるもの、必要感のあるものを読んで欲しいと思う(そうでしか人は読まない、読めないのかもしれない)。
ある教材について深く研究することよりも、どうやったら読む必然性がそれぞれに生まれるような授業がデザインできるかの方に興味がある。