学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

「生徒と一緒に考える」とは

最近、授業が行き詰まっていたので、知り合いの先生に相談した。

 

課題が上手く作れていない。見取りができているかわからない。フィードバックがちゃんとできているかわからない。自分が正しい方向に向かっているかわからない。

色々と悩みを話していると、「自分一人の力でなんとかしようとしてるでしょ?」と指摘された。

そして、「生徒と一緒に考えるんだよ。」と仰った。

 

その言葉が、なぜかこの時、スッと、理解できたような気がした。

 

授業がうまくいかなかった時、「どうしたらいいか」とウンウン唸りながら頭を捻っていた。

課題の作り方、見取りのやり方、フィードバックの仕方、教師としての在り方…。

色々と考えた。

しかし、そこに生徒はいただろうか?

 

共に授業を良くしていくのであれば、生徒は客ではなく、同僚になるのではないか?(この喩えが良いかは分からない)

同僚として認めるならば、どんな意見が出たとしても、まずはそれを認めるべきではないか?

「生徒と一緒に考える」とはそういうことなのではないか?

僕は頭の中の理論が先行して、彼らの意見を否定していた。(口には出さずとも、それは見抜かれていただろう)

 

今のこの考え方が、正しい方向かは分からない。

ただ、「生徒と一緒に考える」という言葉が、今の僕になんだか入ってきた。

少し、モヤが晴れたような気がした。

 

Y先生、ありがとうございました。僕は勝手に先生のことをメンターだと思っています。