学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

迷ったけど

今年度初めて受け持つ集団でも、授業のルール(意識作り)を行いました。

ギリギリまでやるかどうか迷いましたが、思い切ってやってみました。

迷ったのには理由があります。

 

ルールを考える必然性は、問題が起きたときにこそあると言えます。

昨年度担当した集団ならば、僕の授業の流れや、僕が授業で求めること、授業で起こる問題を体験しています。

しかし、初めて受け持つ集団はこれらを全く経験していないため、何が問題かわからないままルールを考えることになります。

具体的なイメージがないままにルールを作るため、どうしても抽象的になりがちです。

実際、僕が出した方針と、今まで受けてきた授業の経験を踏まえて、とりあえずルールを作っていたのだと思います。

 

一方で、思い切ってやったのにも理由があります。

一つは、彼らがどのようにルールを作るのかを見たかったということ。

もう一つは、ここで作ったルール自体が大事なのではなく、ルールを作るという体験をしてもらいたかったということ。

自分達で授業のルールを作ることによってオーナーシップを持ってもらいたい。

今回ルールを決めた意味は、これからの授業を通して実感していって欲しいと思っています。