学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

構築される「私」

最近は少しずつ本音で話せるようになってきた。と思う。

この変化はいったい何なのだろうか。

自分でもよくわからない。

 

人間関係ができてきたからだろうか。

教室の「私」というのは数ある「私」の中の一人であって、この「私」は教室内の関係によって構築される。

本音で話せる「私」が、教室内の関係によって構築されるのであれば、やはり一番大切なのは人間関係なのだ。

 

追伸

グサリとくることを言われてもイラッとこないのは、お互いにリスペクト(尊重)し合える関係だからです。

自分も相手をリスペクトしているし、相手も自分をリスペクトしてくれている。

だから、指摘することに人間関係の恐れがない。