学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

担任だろうが担任じゃなかろうが

先日同僚の先生と話していて、「来年度は内村先生にとって結構大事な年になるよね。」と言われた。どのような意味で大事なのかわからなかったので聞くと、「今年度のようなポジション(今年度は学年付き)のままなのか、来年度は担任を持つのか。これって今後に関わってくるよね。」ということだった。

 

今年度はある事情から担任を持てなかった。来年度も担任を持たせてもらえないことは、色々な意味で僕の今後のキャリア?に関わってくると同僚の先生は心配してくれているのだろう。

 

担任を持てなかったのは本当に残念だった。初任から担任を持ち、持ち上がってきたメンバーだっただけになおさら。

 

だけど、今年一年を過ごして、僕はあまり担任にこだわりを持たなくなった。

 

もちろん、担任にしかできない関わりはあるから、持ちたくないわけではないし、むしろ持ってみたい。だけど、担任じゃないからと言って、無味乾燥とした教員生活になるわけではないことを、実感できた。

 

授業を通して大切なことを語れるし、生徒の成長を見ることができる。

 

ただ小説や評論の読み方を教えるためだけに授業していたわけではない。

 

担任だろうが、担任じゃなかろうが、自分の願いを持っていれば、主に授業でしか関われなかったとしても、何も虚しくはない。