学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

うれしかったこと

先日の授業でのこと。嬉しかったことがあった。

 

ある集団のなかに、課題を達成することをすぐに諦めてしまう子がいた。

最近はその子も以前と比べて取り組むようにはなっていたのだが、やはり途中で諦めてしまっているように見えた。

 

ただ、前回の授業では違った。

最後まで粘り強く理解しようとしていた。その子の友達も、その子が理解できるように粘り強く関わっていた。

 

一番嬉しかったのは、その子が「わからない」と言えるようになったことだ。

これは、その子の変化ももちろんだかが、その子の周りも、きっと変化したのだろう。

「わからない」と言っても大丈夫な環境でなければ、安心して「わからない」とは言えない。

安心して「わからない」と言える環境を作ることは、「分かる子」にとっても、「分からない子」にとっても得になる。

「分かる子」だって、いつ自分が「分からない子」になるかは分からないのだ。

 

自分が困った時に、手を差し伸べてもらえるかを想定して、普段から自分がどのような行動を取るのがいいかを考えることは大事なことだと思うし、ゆくゆくは自分の得になる。

「一人も見捨てないことは得である」という言葉の意味が、少し腑に落ちた気がする。

困っている人を助けることは、ひいては自分が困った時に助けてもらえることに繋がる。

自分が困っている時に助けてくれなかった人を、助けようと思うだろうか?

でも、それでも見捨ててはいけないということも、伝えたい。