学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

勝負

 6限3年生現代文。本日の課題は「全員が、山椒魚が岩屋から出られない状態は山椒魚のどのような側面を比喩しているかを説明することができる。」

 この課題は「岩屋」の比喩を読み取らせることをねらいとした課題である。この課題を作るまでに、散々悩んだ。5回は考え直したと思う。

 ボツにした課題。

 「全員が、『頭がつかえて』『岩屋』から出られない山椒魚の状態が、自意識が大きくなり過ぎて自分のものの捉え方から抜け出すことができない人間のありようを比喩していることを説明することができる。」

 「全員が、『頭がつかえて』『岩屋』から出られない山椒魚の状態が、自意識が大きくなり過ぎて自分のものの捉え方から抜け出すことができない人間のありようを比喩していることを説明することができる。」

山椒魚の自意識が肥大化した(大きくなり過ぎた)ことは、本文のどの記述からわかるか。説明せよ。」などなど…。

 散々悩んだ課題を持って教室に行く時、「今日は勝負だな。」と感じた。

 「授業は1回1回が生徒との勝負だ。」とは教育界ではよく言われる言葉である。だから、今までもなんとなく「授業は勝負なんだなあ。」と思ってはいた。しかし、本当にそう思えたのは今日が初めてだった。今までの僕の授業は、言ってしまえば「勝負」しているのではなく、「受け流している」授業だったように思う。なんとか50分間を切り抜けることがほとんどだった。

 なぜ、今日そんな風に思えたのかと言えば、それは、自分が納得いくまで課題を考え尽くしたということに尽きる。1年目、2年目の時は納得いくまで考え尽くすことができなかった。今年は幸い、納得するまで考えることができる。

 自分が納得いくまで考え尽くすことができれば、仮に失敗したとしても、次につなげる材料にすることができる。中途半端なものは、振り返る気にもなれない。中途半端な授業準備をし、中途半端な授業をし、中途半端な振り返りをする。これではいつまで経っても意味がない。

 今日、生徒に大きな成長が見られた。今まではいつも同じメンバーが5つぐらいの島を作っているイメージだったのだが、今日は、その島がばらばらになっていた。かなりごちゃ混ぜの状態で、それぞれがいろいろな人のところに行って、説明したり、聞いたりしていた。6限だったが、みんな全力でがんばってくれた。

 全員達成した時は、本当にうれしかった。