学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

教員文庫

クラスに自分の本を置いている。

もろ自分の趣味全開だが、生徒は借りて読んでくれている。

朝や帰りのSHRで一冊ずつでも紹介しよう。

 

本を読むことを強制することはできない。

でも、入り口まで案内することはできる。

僕は、本を読むことは人生を豊かにすることに繋がると信じている。

 

高校生の時、色々なことで悩んだ。

悩んだということは、未熟な脳みそながらも、それだけ考えたということだ。

ただ、本は読まなかったし(受験勉強でそれどころではなかった)、人に自分の考えていることを話さなかった(どうせ話しても意味がないと斜に構えていた)。

だから、なんとなく考えてはいるが、フワフワとしているし、自分の考えに自信を持てなかった。

本を読むようになって驚いたことは、自分と同じようなことを考えている人が、世の中にいるということに気づいたことだ(なんとも間抜けな発見である。しかし、自分の中に閉じこもっていた私にとっては、大きな発見だった)。

しかも、自分のフワフワとした考えを明確に言語化してくれている。

 

なによりも良かったことは、自分の考えを持つことができるようになったことだ。

ある事柄について、いきなり自分の意見をもつことは難しい。

しかし、ある事柄に関する本を何冊か読んで、様々な意見を自分の中に取り入れると、それらの意見を座標軸にして、自分がどの位置にいるのかがなんとなく見えてくる。

様々な考えがある中で、自分はどの位置にいるのか。それが自分の立場であり、意見である。

 

本を読もう。