学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

信じること

 ときどき、不安になることがある。自分が信じていたものが批判され、糾弾されているときには、自分は本当にこれを信じていいのだろうかと一人不安になってしまう。それは誰かに相談して解決することではないだろうし、解決するものでもないと思う。もし仮に解決したとしても、それは仮初の、一時凌ぎの安心でしかないだろう。

 そんなときは、なぜ、自分はそれを信じているのかと自分に問う。なぜ、自分はそれをいいものと思ったのかと問う。なぜ、自分はそれが腑におちたのかと問う。

 やはり自分の根本は講師時代の定時制高校にある。あそこでの、あの子たちとの出会いが、今の僕を形作っている。家庭環境が大変で、勉強どころではなかったあの子。本当に優しいのに、騙されやすかったあの子。卒業はしたが、卒業式には出られなかったあの子を思い出す。

 僕は頭が良くないし、大した経験を積んでいるわけでもないが、あのとき勉強したこと、あのとき経験したこと、そして今勉強していること、今経験していることは嘘ではない。

 だから、自分が誠意を持ってそれを信じるならば、やはりそれは信じるべきことなのだ。もしかしたらそれは間違っているのかもしれない。だけれども、今の自分はそれを信じている。あとは、誠意を持って信じるために、勉強するだけのことなのだ。