学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

『段落論』石黒 圭 光文社新書 2020年2月29日初版第1刷

 国語の説明的文章の授業でポピュラーな段落分け。誰もがやったことがあり、しかし誰もがよく分からないままになんとなくやっていたもの。僕自身、段落分けは苦手だった。

 本書では、日本語の文章における段落分けの難しさの理由に、次のことが挙げられている。

英語圏の作文教育では、一つの話題に対して小主題文、支持文、小結論文で構成するパラグラフ・ライティングが基本であるが、日本の作文教育では、自分の経験や感じたことを表現する生活綴方の影響が見られること。

・日本語では段落がひとまとまりの内容を表すという共通理解はあるが、その大きさは人によってまちまちであること。

英語圏のパラグラフは書き手のためのものであり、論理性が大事にされているため、まとまりが分かりやすく切れ目が明確であること。日本語の段落は読み手のものであり、読みやすさが大事されているため切れ目が相対的になること。

(以上のことは、英語が論理的で日本語が論理的でないということではないと筆者は述べている。英語のパラグラフの発想に日本語も学べばいいだけのことである。)

 

 やはり、本文を与えて段落分けさせるよりも、なぜそこで段落が別れるのかを考えさせたほうが、より思考が活発になりそうだ。生徒はどうしても「正解」を知りたがる。

 余談だが、僕は読みの授業研究会(以下「読み研」)に所属して勉強させてもらっている。「読み研」方式の説明的文章の読み方の一つに、本文全体を「序論・本論・結論」を手がかりに分けていく「構造よみ」というものがある。「構造よみ」における段落の分け方はかなり整理されていて、それらは「指標」としてまとめられている。なぜそこで段落が別れるのかを考えさせる時にも、考えるものさしとして「指標」は役に立つだろう。

(「構造よみ」については『国語力をつける説明文・論説文の「読み」の授業』を参照)