学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

求めよ

「求めよ、さらば与えられん」という聖書の言葉がある。

何かを得るためには求めなければならない。

与える側からしたら求めていない人に与えても仕方がない。

求める人はいずれ得る。

分かる人には分かる。

 

一番効率のいい読書は、自分がどのような知識を欲しているのかを自覚すること。

知識を欲するとは、自分の中に解決したい課題があるということ。

 

話は変わるけど、読解力って多読に支えられていると思うんだよなぁ。

スポーツでも武芸でも、まずは量をこなす。

それと同じ。

どうやったら多読を保障できるのかなぁ。

『プリズン・エスケープ 脱出への10の鍵』

今日は『プリズン・エスケープ 脱出への10の鍵』という映画を観ました。

ダニエル・ラドクリフが主演の映画です。

ハリーポッターの印象は正直大根でしたが、この映画では素晴らしい演技をしていました。

脱獄計画がバレそうになる緊迫のシーンが何度もあるのですが、その度に観てるこちらは息を止めますし、やり過ごした後はしばらくドキドキしてます。

カメラワークも秀逸です。

おすすめの映画です。

ホットサンドメーカでお好み焼き

今日はホットサンドメーカーお好み焼きを作りました。

  • 豚バラ・・・50〜お好み
  • キャベツ・・・200グラム程度
  • 水と薄力粉・・・100ml/100グラム(大体1:1の割合)
  • 卵・・・水・薄力粉が100グラム程度だったら1個。
  • だし・・・小さじ1程度
  • 天かすとかかつ節とか・・・適当

ただただ適当に混ぜてホットサンドメーカーで焼くだけです。

片弱火で5〜6分ずつ。生焼けにならないように。

キャベツをもやしに変えると千切りにしなくて済みます。

簡単でおいしいです。

対立に対してどうあるか

学校とはいろいろな人が一緒に生活している以上、対立が起こる場である。

そのことを前提として、教員はどうあるかが大事だと思う。

 

問題が起こったならば、当事者同士が(できれば周りの人たちの手を借りながら)解決するしかない。

解決するためには話し合いは避けて通れない。

そんなことを言ったら他の先生から「じゃあ話し合いの方法はどうするんですか」と言われたが、そこが一番重要なのか?

我々は裁判官になってはいけない。裁くことなどできないのだから。

その場にいて、話し合いを見守る事はできるかもしれない。

でも結局その集団が納得解を出していくしかない。

「あの子たちには話し合いは難しいから…」ではなにも解決しない。

 

対立が起こったならば、それを元にしていかにより良くなるかを考えなければ。

自分を振り返ること

僕が生きている上で大切にしていること。

それは自分に矢印を向けること。

 

人は、人から注意されたり非難されるとつい「なんだこの!」と思ってしまいがち。

それが自分の痛いところをついているのなら尚更。

「そういうあなただって」と言いたくなる時もある。

 

でも、少し立ち止まって自分に矢印を向けることは、自分にとって得なんじゃなかろうか。

自分に矢印を向けず、他人に矢印を向け続ける人は、そこで成長が止まる。

自分に矢印を向ける続けることによって、はじめて成長できる。

変わるとは、成長とは、少なからず痛みを伴うものなのだと思う。

 

人は完璧でないままに、人を注意する時がある。

そんな時、「あなただって完璧じゃないのに人のことを注意するな」と思って愚痴を言って終わる事はできる。

注意した人はもちろん完璧じゃない。そして、注意された人ももちろん完璧じゃない。

お互いが対立して終わるのではなく、より良い自分になるために、もっと言えばより良い自分「達」になるために、苦しくても一度自分に矢印を向けてほしい。

掛川食堂

昨日の夜から無性に和食が食べたく、今日は嫁さんと掛川食堂というお店に行ってきました。

ここは自分の好きな小鉢を選んで定食をカスタマイズできます。

お腹が空いていたのでたくさん食べました。

二人で9品近く頼んだかな。

お腹いっぱい食べても二人で2300円ほど。一人1000円ちょっと。

また行きたいです。

好きな言葉

子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天明を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。

〈現代語訳〉

老先生最晩年の回想。わたしが十五歳になったとき、学事に心が向かうようになった。三十歳に至って独りで立つことができた。やがて四十歳のとき、自信が揺るがず、もう迷うことがなくなった五十歳を迎えたとき、天が私に与えた使命を自覚し奮闘することになった。〔その後、苦難の道を歩んだ経験からか、〕六十歳ともなると、他人のことばを聞くとその細かい気持ちまで分かるようになった。そして、七十のこの歳、自分のこころの求めるままにこうどうをしても、規定・規範からはずれるというようなことがなくなった。

 

子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。

〈現代語訳〉

老先生の教え。知識や情報を〔たくさん〕得ても思考しなければ〔まとまらず〕、どうして生かせばいいのかわからない。逆に、思考するばかりで知識や情報がなければ〔一方的になり〕、独善的になってしまう。

 

どちらも『論語』(全訳注 加地伸行 講談社学術文庫)より。