今日は芸術鑑賞教室があった。
和太鼓集団の「倭」さんが来てくださった。
本物に触れる素晴らしさを改めて実感した時間だった。
和太鼓の演奏を聴いた時に感じたのは、「音」のデカさ以上に、その「振動」だった。
和太鼓の演奏は「聴く」ものではなく、体全体で「感じる」ものだった。
ストーブをつけていない体育館で、自分は動いてもいないのに、体の内側から熱くなる演奏っだった。
今はわざわざ本物を見にいかなくても、Youtube等で簡単に目当ての動画が見られる。
そのせいで、我々はなんでも「経験した気」になってしまっているのではないだろうか。
実際に見たわけでもないのに、「ああ、あれね。知ってる知ってる。」となりがちではないか。
今日の和太鼓は、本物を見てこそのものだった。
本当に貴重な体験をさせていただいた。
「倭」のみなさんは楽しそうに演奏していて、「本当に和太鼓が好きなんだなぁ」と感じた。
生徒にも伝わったみたいで、感想に書いてくれている子もいた。
本気になって何かに取り組んでいる人に触れる機会は、本当に大事だと思う。
本気になることは泥臭くなること。
本気になれば、それだけ必死になるし、失敗もする。
スマートになんでもそつなくこなすことが「カッコいい」と思っている人にとっては、本気で何かに取り組んでいる人はダサく見えるのだろう。
本当は、本気でやっている人こそがカッコいい。
今日の演奏で、本気のカッコよさを感じられたんじゃないかなぁと思う。