学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

社会規範

『予想どおりに不合理』の4章「社会規範のコスト」を読んでいると、『断絶への航海』のケイロン人社会を思い出します。我々は社会規範と市場規範が同時に存在する世界に生きていますが、ケイロン人社会は社会規範のみの社会です。

4章では、著者が参加したバーニングマンというイベントの話が出てきます。

バーニングマンとは、「毎年ネバダ州のブラックロック砂漠で一週間にわたって開催される自己表現と自律をうたったイベント」(P.147)だそうです。

このイベントでは市場規範が排除されているそうです。

バーニングマンではお金が使えない。開催地全体が、プレゼント交換経済で動いている。みんなだれかに贈り物をする。もらった人がいずれ自分(あるいはべつのだれか)に何か贈り返すだろうという共通理解があってのことだ。そんあわけで、料理ができる人は食事をつくる。臨床心理士は無料でカウンセリングをする。マッサージ師は目の前の台に横たわった人にマッサージを施す。水をもている人はシャワーを提供する。飲み物や手づくりアクセサリーをふるまう人もいれば、抱擁をしてまわる人もいる(わたしは、MITの工作室でつくったパズルをプレゼントにした。だいたいはみんな喜んでパズルに挑戦してくれたようだ)。 P.147〜148

まさしくケイロン人社会です。

ただし著者は「答えは、社会をバーニングマンのように再生することではなく、社会規範がわたしたちの評価をはるかに超える大きな役割を社会に対して果たせるのだと心にとめておくことだと思う。」(P.148)と述べています。

社会全体がケイロン人社会になることは無理だとしても、社会規範の価値を再認識することが大切だということですかね。