学而不思則罔、思而不学則殆。

高校国語科教員が何か書きます。

「説明する課題」とは

伝えることは、言葉を駆使して自分の思いを相手に分かってもらうこと。

これが、簡単なようで難しい。

お互い日本語を使っているから意思疎通が簡単にできると思ったら大間違い。

「犬」という具体物を表す言葉ひとつとっても、この言葉から思い描かれるイメージは人それぞれ違う。

自分の思考や思いという極めて抽象的なものならなおさら。

 

伝える力が無いと、負のループに嵌る。

伝わらない→イライラする→面倒くさくなる→伝えることをサボる→余計に伝わらない→イライラする・・・

こうならないためにも、伝える経験をたくさん積んでおいた方がいい。

 

『学び合い』の課題の典型的なものに、「クラスメートにわかりやすく説明する」というものがある。

僕はこれを、本当に分かったか確認するためのもの、人間関係を広げるためのものだと、ただそれだけのものだと思っていた。

それが最近、「伝える」ということに焦点を合わせてみると少し深まったように思う。

 

この課題を通して実感することはたくさんある。

  • 伝えることは本来難しいこと。
  • 難しいことを前提にコミュニケーションする必要があること。
  • 一通りの説明ではなかなか伝わらないこと。言葉を重ねる必要があること。
  • 分かったことを伝えると同じくらい、分からないことを伝えることが大事だということ。
  • 自分の説明が本当に伝わったかどうかは、相手に説明して伝えてもらわないといけないこと。
  • 質の良い説明ができるようになるためには、自分の説明をあたたかくも厳しくチェックしてもらう必要があること。
  • 自分が成長するためには、あたたかくも厳しくチェックしてくれる仲間を持つ必要があること。
  • 相手の説明の質をチェックするためには自分がきちんと理解していなければならないこと。
  • 自分の説明をチェックしてもらうためには相手もある程度分かっていないといけないから、わかる人を増やすことは自分の理解をより確実なものにすることにつながること。つまり、自分だけが分かっている状態より、より多くの人がわかっている状態である方のが、自分にとって得であること。
  • お互いが成長するためには集団の心理的安全性が不可欠なこと。
  • 心理的安全性を構築するために、常に自分の振る舞いを振り返る必要があること。

今の自分はここまで言語化できた。